「クリックさせること」が行き過ぎるとユーザをもてなせなくなる
■目的が違う
C-team
C-teamを考案したリクルートさんは、バナーの目的を「とにかくクリックさせること」と考えているのだろう。
エンタメサイトやメディアサイトでは、広告枠を主な収入源としているためにUU数が価値を持つ。このようなサイトでは「とにかくクリックさせること」を主目的としてバナーを選定することがお金を生むといってよい。この場合C-teamを使ったアプローチは正解といえるのかもしれない。
しかしながらこの世には、エンタメサイトやメディアサイト以外にもサイトは存在する。
例えばEC系や会員登録系のサイト。この場合、運用者はバナーの目的を「最終的にコンバージョンさせること」と捉えるだろう。つまり、サイトを訪れてくれるだけではなく「最終的に商品を買ってくれること」「会員登録をしてくれること」を期待してバナーを選定する。
もしあなたがAという会員登録系サイトを運用していたとして、ともに10万円で手に入るバナーなら以下のどちらのバナークリエイティブがほしいか考えてほしい。
■バナー1:月間10,000人がクリックしてくれたが、そこからサイトを訪れた人の中で会員登録をしてくれたのは100人だけ。
■バナー2:月間5,000人しかクリックしてくれなかったが、そこからサイトを訪れた人の中で会員登録をしてくれたのは200人。
どうだろう?10万円を払うべきバナーは明らかに後者のはずだ。なぜなら最終的なコンバージョン数が後者のほうが多いから。
C-teamを有効に活用できるサイトもあれば、全く無価値と捉えるサイトもある。
目的が違うのだ。
盲目的に「C-teamすげー」と思っている人は是非立ち止まって冷静になってほしいと思う。
■とは言ったものの
実は私の主張は上記に留まらない。
私は、広告枠を主な収入源としているエンタメサイトやメディアサイトだろうと「バナーはユーザをもてなすための一パーツでしかない」と考えている。そして「とにかくクリックさせること」を目的としてバナーを作ることはほぼ99%悪だと考えている。ビジネス的にもユーザ的にもだ。
理由は以下2点。
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- ユーザをもてなす気持ちが薄れ、ターゲットユーザにとって居心地が悪いサイトとなる
- サイトに集るユーザの特徴が薄れてしまうために広告枠としての価値も薄まる
続けて詳細を説明したい。
■ユーザをもてなす気持ちが薄れる
「とにかくクリックさせること」を考えてバナーを選ぶと、ユーザをもてなす気持ちが薄まってしまう。
例えば集合住宅を考えてほしい。
住んでもらう人を適切な基準で選定していれば良い環境の集合住宅が出来るかもしれないが、「とにかく誰でもいいから住ませてしまえ!」とだれかれかまわず入居させれば、集合住宅としての価値も下がるし、住んでいる人たちも気持ちよく暮らせなくなってしまう。
さて、サイトに置き換えてみよう。
ビジネスユーザが集うサイトに高校生ユーザは集ってほしくないし、アニメ好きの集うサイトに冷やかし半分のユーザなど邪魔でしかない。新たに訪れるユーザにとっても、自分が歓迎されていないサイトにわざわざ誘導されたときのイライラといったらない。
Youtubeのようなサイトを期待して訪れた40代主婦が、アニメ色満載のニコニコ動画を目にした場合、気分を害してブラウザを閉じるだろう。(私はニコニコ動画大好きだが)
■広告枠の価値も薄まる
年収が高めなビジネスマンが集うNIKKEI NETの広告枠は、高校生やフリーターが集うサイトになった瞬間多くの広告主から見放されるだろう。年配が集う趣味人倶楽部に高校生が集りだしたら広告枠を売っている営業マンは何をして良いか分からなくなるのではないか。
このようにビジネス視点をもってしても、「とにかくクリックさせること」に引っ張られ「どのようなユーザをつれてくるべきか」を見失った集客施策は価値が低いと言える。
■つまり
だれでも連れてくれば良いといったサイトであれば例外的にC-teamが機能するかもしれないが、多くの場合「クリック率のみを追いかけること」はビジネス的にもユーザ的にも悪い環境を生み出してしまう。
サイトの目的を考え、
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- どのようなユーザにサイトに来てもらいたいのか
- どのような気持ちで来てもらいたいのか
- サイトに来て何をしてほしいのか
- その後、継続してそのユーザにどうサイトに関わってほしいか
といった「ユーザをもてなすためのシナリオ」を描いた上で、そのシナリオを達成させる一パーツとして適切なバナーを選定すべきなのだ。
大変おこがましいことを言うが、是非C-teamには今後「コンバージョンで評価する仕組み」や「コンバージョン自体を定義できる仕組み」を追加する方向でサービスを改善してほしいと思う。
その時は是非利用してみたい。